株式会社こうちゃんペイント 創業物語

なぜ、『こうちゃんペイント』なの?

「社名なんですが『瀬川塗装』と『こうちゃんペイント』のどちらがいいでしょう?」
独立するときに妻のお父さんに相談しました。

すると、「こうちゃんペイント!面白いじゃない!」

私が尊敬する人生の師。
そして、私の人生を支え続けてくれる妻を育ててくれた義父の一言で社名が決まりました。

ところが、業界の先輩や仲間たちからは不評。

「瀬川さん。現場で恥ずかしくて紹介できないよ…」
「どんなふうに紹介すればいいの?」
「変わった名前だな…」

まわりの心配をよそに、私は正々堂々と
「こうちゃんペイントの瀬川です」と行く先々で挨拶させていただきました。

当初は、ご挨拶するたびに恥ずかしくて逃げ出したかったのが現実です。
「社名、間違えちゃったかなぁ…」
それでも、義父に応援してもらった大切な社名。
日々、一所懸命に仕事をさせていいただいている間に、愛着ある響きに育ちました。

今では「覚えやすくていいよ!」「親しみやすい名前ね」と言っていただけます。

大切な人に守られて!

私は1977年、横浜国立大学の病院で生まれました。
出産時は命の危険があったそうです。小さい頃はあまり丈夫ではありませんでした。

6歳まで横浜で過ごし、1983年に東金に引っ越してきました。
両親が小児喘息の私の健康を心配し、きれいな空気の中で育てようとしてくれたからです。

幼少時は父から大きな影響を受けます。
レース好きの父の影響で、私は3歳からポケバイに乗り始めました。
小学校時代には自転車競技で全国的に有名になりました。
雑誌の表紙に取り上げられるまでになりました。

父は、少年の私に大きな夢を持たせてくれました。

1988年 11才の私。
小学館 小学6年生 11月号の表紙に掲載されました。

病弱だった私は、ポケバイや自転車競技のレースを通じて体力と自信をつけ、しだいに積極的で前向きな性格になりました。

東金に引っ越してから、父はずっと横浜まで通勤していました。
母は近くでパートをしながら家計を支えてくれました。
当時のわが家の収入の大部分が、私の競技の遠征費用に費やされていたはずです。

きっと無理して生活環境を変えてくれた影響もあるでしょう。
当時は裕福な家庭ではありませんでした。
必死に働いている両親の姿を見ていると、欲しいものがあっても言えませんでした。
まわりが羨ましかった。
だからこそ、ハングリー精神が養われたのかなと思います。

そんなふうに遠慮する私を、両親は知っていたのかもしれません。
当時は気づきませんでしたが、もしかすると姉にもかなり窮屈な思いをさせていたのかもしれません。
私がレースに打ち込めるために家族が支え続けてくれました。

住まいも同じです。
住まいも私たち人間と同じように家族を支えています。

天職との出会い!

高校性の頃には、私はモトクロスのプロレーサーになっていました。
レーサーとして全国に遠征します。
そこで、私も遠征費用を稼ぐために、姉から紹介された塗装会社でアルバイトをするようになりました。

それが今の仕事に繋がります。
お世話になった塗装会社の社長は、仕事にとても厳しい方でした。
そのおかげで塗装職人としての技術をしっかり身につけることができました。

そして19歳のとき、親方から「巧平(こうへい)、もう一人でも行けるから…」と言われました。
はじめて一つの現場を任されることになったのです。

足場は仲間が一緒に組んでくれました。
でも、家を塗るのは、私、一人です。

真夏でした。
暑かったはずです。
だけれど、任された責任感が心地よく、夢中で仕事をさせていただきました。
屋根は上半身裸で、頭に鉢巻をして塗りました。
今の時代では許されませんね。(笑)

朝8時前から夜の9時まで、お客様には見えない隠れた劣化の補修まで、やれることはすべてやりました。

そして工事が終わったときです。

お客様から

「きれいになった!ありがとう!」

との言葉をいただきました。

まったく期待していなかった言葉でした。
そして、これまで生きてきてはじめての感覚でした。
レースでは味わえない、あたたかい気持ちを感じた瞬間でした。

「お客様のためにやれば、やっただけお客さんに喜んでもらえる」
そうです。
この想いこそが「こうちゃんペイント」の土台です。

  • やれることは全てやる
  • 見えない場所でも丁寧にやる
  • 10年後、20年後、30年後に「あなたに任せて良かった!」と喜んでもらえる仕事をする

「そろそろ将来のこと考えたら…」

塗装のアルバイトを続けながらレースに出場していた2002年。24歳のことです。
プロとして続けることができないケガを負ってしまいました。
大きな夢を絶たれ、希望を失った私に姉が言いました。
「こうちゃん。そろそろ将来のことを考えた方が良いんじゃない…」

その通りだと思いました。
このままでは、結婚したばかりの妻と生まれてくる子どもを路頭に迷わせる…

どうやって妻と子どもを養っていけばいいのか?
そんなとき、19歳で塗装のアルバイトをしてはじめて一人で現場を任されたときの「きれいになった!ありがとう!」というお客様の声がよみがえってきました。

「そうだ!塗装の仕事をしよう!」

やりがいのある塗装の仕事で起業したいという大きな夢を持ちました。
厳しい親方に鍛えてもらえたおかげで、施工技術には自信がありました。
しかし、何から始めていいのか?どうしたらいいのか?まったく分かりませんでした。

そんなとき、義父が手を差し伸べてくれました。

「起業するんだったら、仕事を契約する営業の経験が必要だよ」
「今後は、リフォームの市場が広がるはずだよ」
「仕事全体を見守る管理能力も勉強しなさい」

たくさんのアドバイスとともに、私を千葉市の工務店に紹介してくれたのです。

その当時、お金に余裕がなく、社会人としての身だしなみにも疎くて、髪を染めて、ヒゲ面でした。
世間を知らない私は、その姿で紹介された会社の面接に向かいました。
普通なら、不採用ですよね。

奇跡です。採用していただけました。
その会社の部長が「俺が面倒を見る!」と言ってくれたのです。
義父と部長のおかげで、社会人らしい一歩が始まります。

人生を応援してくれる妻とご両親への感謝は言葉では表せません。
収入が不安定なプロレーサーの私を信じて、妻は嫁いできてくれました。
彼女のご両親はケガを負って定職もなく、将来の見通しの立たない私との結婚を許し、勤め先まで紹介してくれました。

応援してくれる人たちの思いを背負って、一所懸命に修業しました。
30歳までの6年間、妻と子どもが待つ家には、ほとんど帰れませんでした。
妻にとっては母子家庭のようだったと思います。
家族のために仕事をしているのに、家族と一緒に過ごせない日々が続きました。

おかげで営業と業界の表と裏を学びました。
塗り替え工事の営業、管理ノウハウ。
リフォーム工事の営業、施工、管理ノウハウ。
そして、訪問販売の闇なども知り尽くしました。

クレーム産業と言われる建築業界

修業時には、業界の裏側も見ることになりました。
それは、私が16歳から塗装会社で働いてきたときから変わらない業界の悪しき習慣でもあります。

一つは、住宅業界の下請けシステムです。
「お客様⇒元請け⇒下請け⇒孫請け⇒玄孫(やしゃご)請け」
このように仕事が3次下請け、4次下請けに流れます。

例えば、お客様から250万円で請け負った仕事が、孫請け・玄孫請け会社に渡る頃には
人件費だけの25万円程度の予算になる場合があります。
決して珍しいことではありません。

25万円、これは諸経費を含めた約10人分の人件費にしかなりません。
その予算で15人~20人工の仕事をしなければならないのです。
それでも、二つ返事で仕事を請け負います。
なぜならば、元請けの言う通りにしなければ、下請け業者は仕事がないからです。

しかし、孫請け・玄孫請けの彼らにも生活があります。
少ない予算で仕事を完了させるために、仕事のどこかの工程が省かれます。手抜き工事が行われてしまうのです。
孫請け・玄孫請けの彼らにとっては、仕方がないこと。

※元請け業者だって、その現実を知っているはずです。

しかし、お客様にとっては悲劇です。許されることではありません。

アルバイトを始めた16歳の頃から、そんな場面に幾度も直面しました。
「こんなんじゃお客様の喜ぶ顔を見ることはできない」
「腕のある職人が誇りを持って仕事ができない」
「誰のため、何のために仕事をしているのか?」
「これでは自分の家族に働く背中を見せられない」
複雑な思いをしたものです。

残念ながら、今でも業界では大きな課題として残っています。それが現実なのです。

私は業界のあり方に疑問を持つと同時に、家族や子どもたちに堂々と背中を見せられる仕事をしたくて、独立する決意を固めていきました。

押し出されるように独立!

「30歳までには独立をしたい!」
独立を一番後押ししたのが、「お客様に喜んでもらえるこの仕事を続けていきたい!」という思いです。

それに加えて、
「家族で過ごす時間を少しでも持ちたい…」
「妻や子どもの欲しいものを買ってあげたい…」
と思うようにもなりました。

そんなとき、勤務していた会社の経営が危なくなってきました。
ボーナスが出なくなりました。社内で嫌な噂が広がりました。

やがて独立せざる得ない状況になりました。
勤務していた会社が倒産してしまったのです。

2007年7月4日。
株式会社こうちゃんペイントの創業です。
自宅を事務所に小さな一歩を踏み出しました。

最初は計画していた通りにはなりませんでした。
職人として現場を任される下請け仕事もありました。

経営は、なかなか安定しませんでしたが、私は幸せを感じることができました。
妻、長男、長女、次女と一緒にいられる生活が送れたからです。

こうちゃんペイントの存在価値!

私は6歳で引っ越してきたので、東金で暮らして40年が過ぎたばかりです。
独立して15年が過ぎました。
おかげさまで、OB様のリピートとご紹介の仕事が増えて、地元に貢献できる会社に育てていただいています。

改めて、これまでの私の人生を振り返ると、

  • 共働きの両親の帰りを家で一人ぼっちで待っていたこと
  • 3歳で、はじめてポケバイに乗ったこと
  • 無条件に優しい姉に守れていたこと
  • プロの道をあきらめたときに黙って寄り添っていた妻
  • 修業期間の6年間、母子家庭のように家族を守った妻

こんな思い出がよみがえります。

家族は喜怒哀楽を経験しながら、一緒に暮らす家族を信じて見守ります。

最近、はじめて妻から聞きました。
長男の人生の岐路のことを教えてくれました。

繰り返されたチャレンジ?!

私が3歳でバイクに乗ったように、長男は5歳でバイクに乗りました。
そして、私と同じくプロライダーになりました。

私たちは遠征につきそい、息子を支える経験をさせてもらいました。
「父もこんな気持ちだったのかなぁ・・・」
サポーターとしても大好きなモトクロスと関わることができました。

当時のことを妻は、
「あなたが独立してから、私たち家族は一緒にいられるようになった。
楽しいことばかりじゃなかったけれど、とにかく家族は一緒だった。
息子の遠征には、いつも家族がついていった。
こんなにずっと一緒にいた家族は、全国でも少ないんじゃないかな…
家にいても、いつも家族は仲が良かった…」

家族と離れ離れだった私にとっても、幸せな時間でした。

子どもの成長が、私たち夫婦を大人にしてくれた

私は、かつての父と同じように息子の夢を応援しました。
2年間、彼をアメリカに留学させたりしました。彼、若手の有望株だったんです。
ところが、息子は私と同じようにレース中に大ケガを負います。

そして、妻の意向で彼は引退します。
なぜ、息子の夢をあきらめさせたのか?

妻の想いはこのようなものでした。
「モトクロスを本気で学びたい、という息子を本気で応援しようと思いました。
競技技術だけではなく、人間力を養ってほしい。そう思っての決断でした。
過酷なスポーツに取り組む事で、責任感、努力、継続すること、
信頼、相手への思いやりなどを、学んでもらいたい。
けれど、息子がケガをしたと聞いて真っ先に思ったのは、生き続けてほしい。
命がなくなるまで続けないでほしい…」

それを聞いて「ドキッ!」としました。

もしかして、私もそのような想いで母から見守られていたのか?
母は、私の人生を応援するために、どれだけの愛を注いでくれたのか?

母の愛は計り知れないほど、大きいものです。
母とは、偉大な存在です。
きっと、私の母もそのように私を育ててくれたのでしょう。
私の妻も自分の時間を、息子の成長のために費やしてくれました。

もしかして、私も心配かけちゃってたのかなぁ?
「私がケガした時も…」
「6年間の修業期間も…」
「何のあてもなく独立したときも…」

何も言わずに見守ってくれていた
妻、
姉、
母…。

ちょっと気づくのが遅かったかもしれません。

もし、住まいが話せたら何を言うのだろう?

家族の時間を静かに見守ってきた住まいが言葉を話せるとしたら、どんな言葉を話すのでしょうか?

住まいは、きっとこんなことを言うでしょう。
「笑顔でね。あなたの笑顔を待っている人がいるよ」
「見守っているよ!不器用な家族なんだから」
「今日も、明日のための良い経験をしたね!ゆっくりおやすみ」

一緒に暮らす家族への想いが私たち人間にあるように、住まいにもあるのではないでしょうか?

私たちは、住まいの専門家としてお客様が、もっと笑顔で暮らせるように住まいの声に耳を傾けます。

  • どうしたらお客様にもっと喜んでもらえるか?
  • どうすれば、住まいに喜んでもらえるのか?
  • どうすれば専門家として誇れる仕事ができるか?

いつもこんなことを考えています。

10年後、20年後、30年後まで、お客様から
「こうちゃんペイントに頼んでよかった!」と言っていただけるよう、職人共々精一杯、努力してまいります。
クレーム産業と言われる住宅業界を、子どもたちに誇れるように・・・

こうちゃんペイントは、たくさんの人に支えられて続いてまいりました。

  • これまで「こうちゃんペイント」を応援してくれたお客様
  • 厳しい現場の仕事を理解してくれた仲間たち
  • 妻の両親が定職のない私との結婚を祝福して、未来を信じてくれたこと
  • 私の両親が病弱な私の未来を大切にしてくれたこと
  • 姉が寄り添い応援し続けてくれていること
  • 長男、長女、次女の成長が私を大人にしてくれたこと
  • 苦労をたくさんかけた。それでも無条件に私を信頼し一緒にいてくれる妻

関わったすべての人に誇れる仕事をしたいと思っています。

私たち株式会社こうちゃんペイントは、これからも家族を笑顔にする住まいを守る仕事を、継続してまいります。